埋忠派

 

埋忠派・埋忠一門

埋忠派は、埋忠家を中心とした流派で、一流金工と一流刀工を共に輩出している金工の流派としても刀工の流派としても稀有な一派です。殊に、安土桃山期から江戸初期にかけては、明寿や寿斎、重義などをはじめとした名金工を数工出しています。
埋忠家は、代々にわたって足利将軍家の御用を務めた家で、仕事内容としては鎺や切羽の製作といった白銀師としての仕事や刀身彫刻、刀身の磨上や茎への象嵌などを行っていました。同じく足利将軍家の御用を務めた金工の後藤家とは業務のすみわけがされていたようで、安土桃山期以前に同家で鐔以外の金具の製作を行っていないのも特徴的です。

同派を代表する金工としてはやはり明壽が挙げられますが、同派には明壽の他にも寿斎や明真、明壽同様に刀も製作した重義(明真との同人説有)などの金工がいて、後に彼らの分家や弟子達が京から全国に散らばり日本各地で金工として活躍しました

埋忠明寿(うめただみょうじゅ)

埋忠明寿は、永禄元年に生まれ、寛永八年に七十四歳で没しています。通称は、埋忠家当主代々の呼び名である彦次郎で、初銘を重吉、後に宗吉と改め、慶長三年に明寿へと改めました。但し、重吉銘に関して正真確実な重吉銘の作がみられないことから、本当に明壽が重吉と切ったかについては疑問視されています。宗吉と明壽銘に関しては、宗吉銘の「埋忠宗吉 慶長二年八月日(特別重要刀剣指定)」と切られた短刀があり、この後に製作された「山城国西陣住人 埋忠明壽 慶長三年八月日 他江不可渡之(重要文化財指定)」という銘が切られた刀が現存していることから、宗吉から明壽へと改銘した時期も判明しています。明壽の刀工としての作のほとんどは短刀、或いは脇指であり、現存している正真確実な刀は前述の重要文化財指定の一口に留まります。また、作刀の多くに彫刻が施されているのも明壽の特徴の一つといえます。
明寿の現存する鐔で重要文化財に指定されている作としては、柏樹文鐔、葡萄蝶文鐔の二口があり、重要美術品に指定されているものには、葡萄唐草文象嵌、丸形真鍮鐔や霞雷文図、真鍮地象嵌葡萄棚鐔などがあります。
刀工としての作及び金工としての作が共に重要文化財に指定されている唯一の作家であるという点に、明壽の特異さとその力量の高さがあらわれています。

霞雷文図鐔 銘 埋忠 明寿
霞雷文図鐔 銘 埋忠 明寿

双竜文図鐔 銘 埋忠 明寿

双竜文図鐔 銘 埋忠 明寿

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