横谷派

 

横谷派・横谷一門

横谷派の祖である初代横谷宗輿は、通称を次兵衛、名をはじめ盛次、のちに友周へと改めた。後の宗與(初代宗與の孫、初代宗珉の養子)と区別するために祖父宗與、あるいは古宗與と呼ばれている。
古宗輿は、後藤家の門人で、はじめ京都新町武者小路に住んでいたが、寛永年間に江戸へ下り、正保年間には幕府に召されて御彫物役となり、御蔵米二百二十俵を給された。元禄三年十二月十七日に七十余歳で没したと伝えられ、浅草等光寺に葬られ、戒名を釈宗與禅定門という。
横谷一門からは、古宗輿の門人に柳川派の祖政次、宗珉門に古川派の祖元珍、大森派の祖英昌、宗與門に桂派の永寿、更にその門人に江川宗隣などがおり、また柳川直政の門からは石黒派が興るなど、横谷一門は江戸金工の中軸を形成していった。

横谷宗珉(初代)(よこやそうみん)

初代宗珉は、古宗輿の子宗知の子で、古宗輿の孫にあたる。名を友常といい、通称は長次郎、のちに横谷家の代々の通称である治兵衛を名乗った。寛文十年に江戸で生まれ、父宗知が若くして没した為に若くして横谷家の家督を継ぎ、祖父と協力して幕府の抱え工として仕事に励んだが、祖父の没後病気の為に体調を崩し幕府の禄を辞して野に下った。その後は家彫を基礎としながらもそれに囚われずに、独自の図柄と彫法を以て、江戸金工界をリードしていった。宗珉は晩年に入道剃髪したのち遊奄と号し、享保十八年に六十四歳で没した。父宗輿同様に等光寺に葬られ、戒名を遊奄宗珉禅定門という。
初代宗珉の作風は、後藤家のいわゆる家彫に対して、家彫よりも一層あでやかな町彫と呼ばれ、後世の金工会に多大な影響を与えている。
晩年の宗珉は、画家の英一蝶の下絵を用いたと伝えられており、両者の関係を物語るエピソードも幾つか伝えられている。英一蝶は、初め絵画を狩野家に学んだが、師家の風に飽き足りず遂にその風を破った事から、狩野派から破門されて野に下り、自由な個性強い画風を創立して、英の一派を開華させている。
その辺りの背景もあって両者が意気投合したであろうことは想像に難くない。

十六匹狮子図三所物 銘 宗班(花押)
十六匹狮子図三所物 銘 宗珉(花押)

横谷宗與(よこやそうよ)

横谷宗與は、古宗輿の子横谷宗寿の次男で、実兄が横谷英精、養父である初代宗珉とは実の従兄弟にあたる。宗輿は、名を友貞といい、元禄十三年に江戸にで生まれ、後に従兄弟である初代宗珉の養子となった横谷家を継いだ。晩年は照渓と号したといわれ、安永八年に没し、古宗輿、初代宗珉と同様に等光寺に葬られた。
麒麟図二所物 銘 宗輿(花押)
麒麟図二所物 銘 宗輿(花押)

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